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新潟県出身の社長は、こんな方々

人口10万人あたりの社長輩出数第4位の新潟県。2015年は1,132人を輩出しています。そんな新潟県出身の社長は、どんな方々でしょうか?

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大倉財閥創業者 大倉喜八郎氏

大倉財閥といわれても、財閥が解体された現在ではピンとこないかもしれません。しかし、帝国ホテル・大成建設・サッポロビール・日清製油(現日清オイリオグループ)などはご存じでしょう。

これら大企業の基盤となった大倉財閥を築いたのが、大倉喜八郎氏。氏は、1837(天保8)年、越後国蒲原軍新発田町(現新潟県新発田市)に生まれます。大倉家は代々農業を営んでいましたが、曾祖父の代から商いで生計を立てました。

10代の頃に、江戸に出ることを決意。鰹節問屋の丁稚奉公から始め、乾物屋・鉄砲商を経て、1873(明治6)年、日本人による初の貿易会社大倉組商会(大成建設の前身)を設立します。その後も、電力事業や毛織物業・ビール醸造業・ホテル業など、多岐にわたる事業を手掛けます。また、東京の赤坂に大倉商業学校(現東京経済大学)を設立。教育事業にも熱心でした。丁稚から身を立て偉大な実業家へと成長した氏の原動力は、「飽くなきベンチャー精神」といわれています。
ちなみにホテルオークラは、息子の喜八郎が設立しました。
生家のあった新発田市には「誕生の碑」が建てられ、今もその功績が讃えられています。

大成建設創業140周年記念サイトはこちら

ヨネックス創業者 米山稔氏

スポーツ用品、特にバトミントン用品では、世界的なシェアを持つヨネックス株式会社。

創業者の米山稔氏は1924(大正13)年、新潟県三島郡越路町(現長岡市)に生まれました。1940年塚野山尋常高等小学校を卒業後、名古屋市の陸軍工廠(こうしょう:軍需工場)に徴用されます。戦局が厳しくなる中、特攻隊として沖縄へ配属されるものの、出撃命令が実行されず一命を取りとめます。

復員後、郷里で1946(昭和21)年家業の木製品の販売を始めます。当初は漁業用の木製浮きなどを製造していましたが、技術革新の波を受け業績不振に。新事業を模索すべく全国を歩いて情報収集をし、行きついたのがバトミントンラケットの製造。戦後導入されたスポーツとして、人気が高かったのです。1958年には株式会社米山製作所を設立。その後、本社を東京に移し社名も何度か変更して、1982年に現社名であるヨネックス株式会社になりました。バトミントン以外にも、テニス・ゴルフ・スノーボードにも進出。現在は世界的なスポーツメーカーに成長したのも、氏の戦争・事業の悪化などを乗り越えた不屈の精神が生かされているからでしょう。

ヨネックス株式会社のHPはこちら

ディー・エヌ・エー創業者 南場智子氏

インターネットオークションやモバイル向けポータルサイトの企画運営を行う、株式会社ディー・エヌ・エー。

創業者の南部智子氏は、1962(昭和37)年新潟県新潟市に生まれます。新潟県立新潟高等学校を経て、津田塾大学英文学科を卒業。外資系コンサルタント会社マッキンゼー・アンドカンパニー日本法人勤務を経て、1990年ハーバード大学でMBA(経営学修士)を取得。1996年にはマッキンゼーでパートナー(役員)に就任。何とも華麗な経歴ですが、これで終わりません。

1999年には株式会社ディー・エヌ・エーを設立、代表取締役に就任します。しかし、精力的に仕事をこなしていた2011年療養中の夫の看病に専念するとして、代表取締役社長を退任。必死の看病の末、夫が回復に向かったことで、2015年に取締役会長に就任します。合わせて、プロ野球球団横浜DeNAベイスターズのオーナーにも就任。女性がプロ野球球団のオーナーになるのは、史上初のことです。

現場から退いたことで得たことも失ったこともありますが、ヘルスケア事業に大きな想いが芽生えたという氏。今後の展開も楽しみです。

株式会社ディー・エヌ・エーのHPはこちら

「ベンチャー精神」という言葉がピッタリなお三方でした。

北陸地方の社長記事まとめ

カテゴリ: 地域情報

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