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新潟県出身の有名人まとめ(政治家編)

新潟県出身の有名人のうち、前回は俳優・女優さんを取り上げましたが、今回は政治家出身の方に注目してみたいと思います。

1. 元内閣総理大臣 田中角榮氏

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By White House Photo Office – Wikipedia

田中角榮氏は、新潟県刈羽郡二田村大字坂田(現・柏崎市)のご出身です。

田中家の次男として生まれた角榮氏ですが、早くに長兄を亡くし、実質的には7人の兄弟姉妹で唯一の男児でした。幼少年時代にお父様がコイ養魚業、種牛の輸入で相次いで事業に失敗、家産が傾き極貧下の生活を余儀なくされました。

1933年、二田高等小学校(現在の柏崎市立二田小学校)を卒業。小学校時代から勉学に優れていた角榮氏は、ずっと級長をしていたそうです。そのため、高等小学校の卒業式では総代として答辞を読んだと言われています。

卒業後の経歴

卒業後の角榮氏は土木工事の現場で働くものの1ヶ月で退職、その後、柏崎の県土木派遣所で働きました。

1934年に上京し、東京で井上工業に住み込みで働きながら、神田の中央工学校土木科の夜間部に通い、1936年に同学科を卒業。卒業後は建築事務所に勤めたが、事務所の主催者が軍に徴集されたため、1937年に独立して「共栄建築事務所」を設立。ところが、翌1938年、徴兵検査で甲種合格となり、陸軍騎兵第3旅団第24連隊への入隊が通知されました。1939年に入営し、満州国富錦で兵役に就いたそうです。

1940年にクルップ性肺炎を発症し、送還されてしまいましたが、治癒後は東京の飯田橋で田中建築事務所を開設。のちに、事務所を改組して1943年に田中土建工業を設立しました。

プライベートでは、1942年に事務所の家主の娘、坂本はな氏と結婚しました。家主は土木建築業者で、結婚によりその事業も受け継いだとのこと。同年11月に長男の正法氏(1947年9月、4歳で逝去)、1944年1月に長女の眞紀子氏が誕生しました。

政治家の経歴

1946年、戦争中より田中土建工業の顧問だった進歩党代議士の大麻唯男氏からの依頼により、同年4月、故郷の新潟2区(当時)から立候補したが、落選。しかし、角榮氏はこれが政治家の道に進む原点となり、日本国憲法による最初の総選挙となった翌1947年に、また立候補。当時の新潟3区から、12人中第3位で初当選しました。

1957年、 第1次岸信介改造内閣で郵政大臣に初就任した角榮氏は、その後、いくつかの大臣や自由民主党幹事長に就任したのち、1972年に自由民主党総裁に当選して、第1次田中内閣が成立しました。当時、田中内閣の支持率は70%前後であったと言われています。

1974年に内閣総辞職をした角榮氏ですが、1976年にあのロッキード事件が発生しました。若い世代の方は、社会科の日本史の授業で習った程度かもしれませんが、ご年配の方には、とても衝撃的な事件だったのではないでしょうか。当時、全日本空輸に対する売りこみにおける5億円の受託収賄罪と、外国為替・外国貿易管理法違反の容疑により逮捕され、自民党を離党し、以後無所属となりました。

その後1985年に、脳梗塞で倒れて言語症や行動障害が残り、以降政治活動は不可能となった角榮氏。そして、1993年12月に角榮氏は75歳で亡くなりました。とても苦労の多い人生であったかと思いますが、政治家として活躍していた時期が一番輝いていたことでしょう。

>田中角栄記念館

2. 田中角榮氏の娘 田中眞紀子氏

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Wikipedia

田中眞紀子氏は東京都文京区の生まれですが、父親はあの田中角榮氏で、新潟県柏崎市に本籍地を持ちます。

経歴

早稲田大学商学部へ進学した眞紀子氏。大学在学中は演劇サークルに所属し、同期にはフリーアナウンサーの久米宏氏や俳優の長塚京三氏がいたそうです。

大学卒業後は劇団の「劇団雲」に所属し、女優として舞台に出演していたという意外な過去がありましたが、結婚を機に引退をしました。

母親が病弱であったことや、自身が高校時代にアメリカの留学経験をしたこともあり、父親の角榮氏が内閣総理大臣在任中は事実上のファーストレディの役目を担っていました。しかし、子供の頃から政界入りする前は角榮氏と対立する事が多く、進学先や夫の田中直紀氏との結婚は、角榮氏の反対を押し切って決めたそうです。

政治活動

1993年7月の第40回総選挙で、自らの選挙区だった新潟3区から無所属で出馬し、初当選したのを機に、政治家としての道をスタートした眞紀子氏。闘病中であった父親の角榮氏も新潟入りをし、眞紀子氏の応援をしました。後に自民党へ入党し、翌1994年に1年生議員ながら、当時の村山内閣の科学技術庁長官として初入閣して話題を呼びました。

2002年に自らの秘書給与問題が浮上し、議員辞職に追い込まれましたが、2003年衆院選で復帰。眞紀子氏の人気は衰えていませんでした。これも、父親の角榮氏のイメージが大きく影響しているのではないでしょうか。

その後も、2012年に野田内閣で文部科学大臣に任命されるなど、政界で注目を集めた眞紀子氏。しかし、同年12月の第46回衆議院議員総選挙では落選し、議席を失ってしまいました。

この時、政界引退は否定したものの、以降目立った政治活動はなく、現在に至ります。今年、選挙権年齢が18歳に引き下げされ、何かと話題の多い日本の政治界。もしかすると、近い将来、眞紀子氏の政界への復活があるかもしれませんね。

カテゴリ: 地域情報

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